忙しいことは「善」?
前回の投稿「忙しい」人はずっと忙しい(1)では、物理学的に「乱雑さは拡大する」のが基本法則ということを書きました。
今回は本筋の心理学の面からこの状況を見てみます。
皆さん、「最近、私いろいろ忙しくて」という方と「最近、私、暇で」という方がいたら、どう思われますか?
「そういう人は【かまってちゃん】だよ!」という考え方は随分と浸透しましたね。しかし他の色々な側面もあることをご存知ですか?

承認欲求が強い
これは「かまってちゃん」みたいな感覚で、様々な投稿がWebでも散見されます。
たしかに「忙しい」というと、期待されている、仕事している、という感じがありますね。
まずはそのことを承認してあげることが重要です。
「大変だね。身体に気をつけてね」
「期待されている人に仕事は集まるからね」
「私にはお手伝いできなく、心苦しいです」
ここは是非「リフレーミング」の技術を使って状況の解釈を変化させたりして、ウソのない心からの言葉をなげかけて差し上げてください。
実は「忙しい」ことが善?
会社や組織などで、顔を合わせるたびに「お疲れ様です」というのが常態化していませんでしょうか?ときには朝一番に会って「お疲れ様」。
この「お疲れ様でした」「お忙しいところ恐縮ですが」の常態化が、忙しくなければダメなことなのだの刷り込みになっているのではないかと思っています。
いろいろ調べても英語には「お疲れ様」に該当する、軽いねぎらいの言い方がありません。せいぜい「Good job!」です。これはやはり仕事に対する対価としての発言なので日本の儀礼的な「お疲れ様」は違います。
「お忙しいところ恐縮ですが」に関しては私は「お時間いただいて恐縮ですが」に置き換えています。これは英語でも「Thank you very much for taking your time」がバッチリ当てはまります。
これは私の考えですが、日本から安易な「お疲れ様」挨拶がなくなる社会になれば恐ろしく生産性があがると思います。
「心理的安全性」がある組織か?
実はこれが主題なのですが、所属する職場や組織に「心理的安全性」が低いと
エイミー・C・エドモントン教授は
- 無知だと思われる不安
- 無能だと思われる不安
- 邪魔をしていると思われる不安
- ネガティブだと思われる不安
が生まれると説いています。
とにかく心理的安全性がなければ無知、無能と思われたくないので「忙しい」を連発するでしょう。
「心理的安全性」については、また別の機会に是非書きたいと思います。
今の時代のキーワードだと思います。